文化
1960年代頃から、「写真の中では報道写真がもっとも優れている」という神話が崩れ始め、写真作品は、それぞれの分野で進むべき方向についての模索を続け、全方向に拡散していく時代になったと考えられる。すなわち、ある時期ある時期を捉えて、ある種の傾向でくくることができなくなっていった。このことについては、写真の多様化として評価される一方で、混沌であると否定的にとらえる考え方もある。
写真作品の外見的な特徴としては、ストレートであってもストレートでなくても構わない。外見は重視されず、例えば、いくら美しい作品でもそれだけでは評価されにくくなった。撮影技術や見た目(外見的な質や様式)ではなく、むしろコンセプトが重要視される。コンセプトさえしっかりしていれば、撮影技術は稚拙でもかまわないという考え(コンセプト至上主義)すら存在する。したがって、ある独立した1作品をとりあげて、「この作品はいい」とはいいにくい状況になっている(1作品では、コンセプトが見えない)。
このことについては、写真が外見だけで判断されず、その背景にあるものを含めて評価されるようになったとして、肯定的にとらえる考え方もある。その一方で、写真の独自性が失われて、現代美術に飲み込まれ、現代美術の一部分となってしまった、と否定的・批判的にとらえる考え方もある。例えば、後者の考え方からすれば、「コンセプト至上主義により、逆に(技術的に)うすっぺらい(奇異な・わかりにくい)写真作品が量産されている。」という批判が存在しうる(これは、現代美術一般についても当てはまる批判である)。いずれにしても、写真を撮る者が写真家である必要性がない時代(写真家ではない美術家が写真作品を制作できる時代)が訪れたといえる。